| 会 社 の あ ゆ み |
| 【創立】 大正14年10月に青島金太郎が個人にて青島ポンプを開業し、当時は、打込井戸で手押ポンプ(通称ガチャポン)を取付け、鉄分の多い水質の所では、タルとかカメに木炭と砂を入れて櫨遇して飲用に使用していました。トップページ下部の写真は青島ポンプが特許を取った頭部の回る手押ポンプです。 【大正14年~昭和20年】 昭和17年5月に青島ポンプと高橋鉄工所が合併して、有限会社青島船舶機器製作所を創立し第二次世界大戦時は、軍隊に徴用される船舶の工事を主に行っていました。第二次世界大戦の終戦に伴い、有限会社青島ポンプ製作所と社名変更しました。 【昭和20年~昭和30年代】 地元焼津の複数の造船所を始め各県の造船所が新造船に着手。造船ブームの到来によって特に後半30トンから50トンクラスの鯖釣漁船の設備の研究開発に成功し大きな実績を収めた。 種類と用法 1) 発電機の駆動 メインエンジンのフライホイールにドラムを接続しクラッチ操作によって 直径1m近いVベルト数本掛の プーリーによって発電機を運転。 2) 肉擢機(52型82型)鯖に与える餌を細かくする為の機械ですべての鯖船に取付機関室に設置してある カウンター軸よりチェイン駆動にて動力をとった。 3) キャブスタン装置 船橋の下側の両サイド`こドラムを取付け楊網等に利用。特に減速比を得る為に 自動車のミッンョン部品を使用した。 4) 棒受網捧揚機 6条のロープを同時に附属品を使用して揚げる装置。 5) 操舵装置 ブリッジにて舵をとる装置で船の最後尾に据付た扇形の歯車(砲金製あるいは銭鋼製)を ピニオン歯車で作動させるシステムで中間にギアーボックスを使用した傘歯車とユニバーサルジョイントを 継手として巧みに利用した。 特にピニオンを駆動させるには比率の大きさを増す為に4条に及ぶウォームホイルを使用した、自工場製。 6) 各種ポンプの研究開発製作 海水による腐食を防ぐ為砲金製のインベラーを使用した。 タービン、ヒューガル、カスケード、ロータリー等又小型で強力な精度の高い移動ポンプは 船倉の汚水の排出に威力を発揮した。上記のように鯖釣漁船の設備については、船体と主機関を除いて 実にすべての設備を開発し、設置したと言っても過言ではない。 自動化省力化に成功し、豊漁を続けた鯖漁業に貢献した実績は大いに賞賛されてよい。 【昭和40年代】 100トンクラスの鰹釣漁船が建造された。 1) ウインドラス装置 これは揚錨機で船首の部分に取付けた。堅牢で耐久性に優れていた。 2) ガバナー装置 船橋で遠隔装置によって機関室の主機の操作が可能になり無人でも操機できた。 3) 強制循環ポンプ 船倉内にて生息させている鰯の稚魚を、海水の温度を調整し不純物を除去して 長い航海に堪えられるよう海水を調節する為に使用した。 40年代に入って漁船の設備も研究開発されて、油圧装置が多く用いられ小型化、軽量化、高性能になって一段と進歩した。 昭和20年8月、日本国民に大きな犠牲と被害をもたらした戦争は終わった。戦後の虚脱感から反省と自立を目指した日本人は雄々しく復興の第一歩をしるしたのだった。 それには先ず生活の安定と産業の発展による国力の振興が不可欠だったのです。 元来日本人がもつ不屈の精神力と勤勉さによって各分野の産業は、めざましく発展し優れた技術力によって大きな前進を遂げたので した。 青島ポンプ工業株式会社も(当時は青島ポンプ製作所でした。)戦後いち早く新体制を確立し、ポンプの開発を軸とした水産業関係の仕事に着手した。水産都市焼津の将来も又漁業の振興こそが急務であった。戦時中多くの漁船が軍に徴用され不帰の運命をたどった悲劇の歴史をもったが、戦後の造船業復活の鐘は高らかに鳴り響いたのでした。 青島ポンプも此の空前の造船ブームにのって漁船の諸設備の研究開発に取り組み大きな成果をあげたのでした。まさしく青島ポンプの名声を世間にアピールした時代でした。それには卓越した設計力と社員一人一人の自覚と努力が実を結んだ結果であり高く評価されると共に青島ポンプの歴史と共に長く残ることと思います。又、終戦の混乱と同時に事用の資材が不足し材料の調達に苦労する時代でした。 昭和28年に高橋鉄工所と別れ中央通り(現在地)に工場を新築し、この年に焼津市の上水道が給水を開始した年でもありました。 ただ今編集修正中 |